Zebra Crossing

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ロボット化。ホスピタリティの行く末は。。。

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どーも、斎藤です(´∀`) 
今日はふと考えたことを。。。
 
一ヶ月ほど前にロボット化によって日本の半分の仕事がなくなると話題になりましたね。

thepage.jp

そのときはへぇーなんて単純に思っていました。
 
ただ同時に本当にそんなこと起こるのかな?なんてことも考えました。というのも本当に"生命あるもの" (ここでは人間や動物、植物など生命あるものとして)でないロボットの提供するものに我々は満足するのかということです。
 
もちろん何かの製造に関してはロボットの導入は費用はかかるものの、効率化は図ることができるでしょう。
しかしホスピタリティが実現されうる分野ではどうでしょうか?
 
ホスピタリティ 意味 
 
その将来なくなるとされている職業の中にはスーパー店員、タクシー運転者、レジ係などホスピタリティが大きく関わるものもあります。
 
もちろんレジ係をロボットにすれば長い列を待たなくて済むかもしれない。忙しい現代人には時短としてすごく重宝されるかもしれない。現にロボット化で効率化を勧めるのに賛同する人は多いだろう。効率化というのは僕もいい考えだと思う。タクシー運転者だってロボットにすれば必ず最短ルートで目的地まで行くことができ、なおかつ運賃も安くなるかも。
 
ただ個人的には生身の人間がその作業を行うことに効率化以上の何かしらの価値がある気がする。漠然としているが。少し挨拶を交わしたり、会話をしたり、微笑みあったり。ある人によってはそれほど大したことのないようにも思えるかもしれないが、僕個人としてはそういうものを大切にしたいなと思う。そんな人と人とのコミュニケーションがホスピタリティを実現するのだろう。すごく臭いこと言ってる感じで恥ずかしいけど、本当にそう思う。
 
 
そういうものが人間の心を豊かにするのではないのかなーなんて。ロボットが生み出す作業的な何かではなく、誰か人の心が動くことで生まれる何かがまた他の人の心を動かすと思う。
 
完全にこれはただの感情論でしかないけど、人間は発展のために生きてるのではないと思う。ロボット化が"発展"と呼べるかどうかもわからないが。
 
もちろんロボットにもホスピタリティの提供は可能かもしれないし、もしロボットが本当に人間と同じように働くことができるならばそれはそれで満足できるのかもしれない。でもなんとなくそれは違う気がする。
 
どこまでロボットが進化したところで人間のように生命ある、心あるものにはならない気がする。たとえ意思決定などをロボット自身で行ったとしても。古い考え方なんだろうなと自分でも少し感じる。。。
 
少し前に話題になったムヒカ大統領がこんなことをテレビで言っていました。
「発展ではなく幸福のために私たちはいる」
「幸せは人間のように生命あるものからしかもらえないんだ」
 
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その通りだなと。もちろんお金だって欲しいし、できることなら無駄をなくして効率よく生きていきたいとは思うけど、発展の犠牲として失われるべきでないものが必ず世の中にはあると思う。その一つがこのサービス業界で実現され得るホスピタリティだと思う。ロボットがホスピタリティを実現するかどうかは別として、生身の人間が提供するホスピタリティというのはこれからどんどん価値あるもの、大切にされるものになっていく気がする。
 
 
言うまでもなくロボットの効率良いサービスか人が生み出すホスピタリティを選ぶかはその人次第ですね。
 
特にロボット化を批判したいわけじゃないし、ただ自分は人と人との繋がりを大切にしたいなと思ったので書きました。
 
そんなことをふと考えた22時50分でした。
ではまた〜